趣旨
1997年10月、京都市営地下鉄東西線の開業に伴い、京阪電鉄京津線・京津三条-御陵間は廃止され、同時に普通電車に活躍していた80形電車も全廃、大部分は解体されました。
唯一廃車後も5年間浜大津駅に留置されていた長男格である81・82号車にも2002年晩夏、解体の決定が下されました。貴重な電車を消滅させるのは後世に悔いが残ると考える有志が集い、京阪電鉄から82号車を譲り受け、これを保存・活用するために同社の錦織車庫の敷地の一部を賃借するに至りまし た。
もとより80形電車は、その愛くるしい欧州風の姿ゆえ、「京津線の主」として愛され続けました。技術面では、日本で三指に入る急勾配、多々存在する急曲線、さらに併用軌道に対処するため、小さな車体に数々の機軸を盛り込んだ高性能車輌です。また、路面区間の駅における乗降を容易にすべく床面高さを下げ、扉と連動したステップを設けることで、1961年当時からバリアフリーを実現するなど、驚くべき先進性に満ちた車輌でした。まさに名車であり、産業遺産として、また京津線のモニュメントとしても、後世に残し、功績を語り継ぐべき存在です。
しかしながら、風雨や紫外線によって劣化が進むとともに心ない者に荒らされるケースの多い、各地の保存車輌の現状を見るにつけ、個人あるいは自治体による車輌保存の困難さを思い知らされます。また、出口の見えぬ不況の中、文化活動は採算面の問題によって後退しており、愛好家や利用客の感情論だけで営利企業たる鉄道会社に保存を訴えることにも限界がございます。
そこで私どもは、自ら出資する「市民運動としての保存」に挑戦します。数多くの保存車輌が飽きられることにより資金繰りに苦しみ、残念な結果に至っていることを勘案すると、82号車を積極的に活用して、同車に新たな命を吹き込み、付加価値を提供し、この収益を保存に必要な費用に充当するモデルを構築できないかと考えました。 具体的には、現役当時の姿をそのままに、各種装置が動作する「生きた保存」を行い、優れた技術を体感できる社会・科学教材としての価値を確かなものにするほか、単なるモノとしての保存にとどめるのではなく、鉄道趣味界以外とのコラボレーションを積極的に進めてまいります。
例えば、82号車が走った大津ならびに京都は、豊かな歴史のある街であるだけでなく、日本で最も現代美術の盛んな都市として知られています。オルタナティヴ・スペースとして82号車を活用することで、豊かな水の都・大津と名車・80形にふさわしいうるおいのあるユニークな世界が広がります。 あるいは、「人に優しい輸送手段」として世界的に鉄道、特に路面電車の復権が唱えられる今日、40年以上前に設計された先進的な電車の中でシンポジウムを実施するのも意義のあることでしょう。 私どもは、このような活動が広く鉄道愛好者のみならず、大津・京都の地域社会や日本の文化・芸術界にとって驚きのあるよろこびを提供できるものと信じております。そして、京津両都に21世紀形の豊かなスポットを提供できることに大いなる歓びを覚えております。
ここで特定非営利活動法人としての法人格を取得することにより、車輌を活かすことと、車輌を守ることとが表裏一体で実現するための活動基盤がより強固になります。 私どもは、「保存会」とは敢えて名乗りません。私どもの視線は、82号車が生を受けた42年前と同様に、42年後の2045年にも向けられています。湖都・大津を走った稀代の名車から、文化を発信するために、今ここに特定非営利活動法人 京津文化フォーラム82を設立いたします。
申請に至るまでの経過
2002年9月、浜大津駅に留置されていた82号車が解体のために回送されたことがネット上の掲示板で伝わり、危機感を抱いた有志が「京阪80形の保存を実現するプロジェクト」を結成。爾来、今日に至るまで以下の活動を続けてきた。
- 京阪電鉄に対する車輌の譲渡の申し出
- 在洛/在津の企業/学校/寺社などにメセナとしての用地使用の働きかけ
- 保存時のプログラムおよび事業モデルの構築
- シンポジウムへの参加などを通しての各界への協力依頼
- 在津NPOや鉄道趣味界など各種団体とのコミュニケーション
2003年5月、京阪電気鉄道株式会社との用地賃借契約の締結に至り、所期の目的を達成したプロジェクトは解散。同6月1日、82号車の保存と活用のための特定非営利活動法人京津文化フォーラム82の設立総会を開催し、今次の申請に至ったものである。
2003年6月2日 特定非営利活動法人 京津文化フォーラム82 設立代表者