京津文化フォーラム82はインターネットから誕生しました。
京阪電気鉄道の名車80形の解体の危機が迫ったとき、インターネット(2ちゃんねる掲示板)を通じて結成された集団「京阪80形電車の保存を実現するプロジェクト」。
その集団が数々の知恵を絞り、2003年6月1日にNPO法人「京津文化フォーラム82」として動き始めました。それは今までの鉄道保存の概念を超えた、「生きた保存」を目指す新たな挑戦です。
当NPOは、名車・京阪80形電車の功績を讃え、世界にたった1両になってしまった82号を保存し、この車両を舞台として各種の文化を発信します。私たちは、ただの「82号車保存会」ではありません。私たちは、京津文化フォーラム82です。
京津文化フォーラム82のできるまで
- 2002年5月
- 2ちゃんねる鉄道板オフ会にて、年寄りが煤に対し浜大津留置線に放置されている80形の保存を提案する。冗談半分。
- 2002年9月
- 放置中の80形(81号82号)が錦織車庫に回送される。解体の危機が迫る。
煤が1人で錦織に赴き、保存したい旨を申し出る。82形のみ保存できる可能性があることがわかる。 - 2002年10月
- 任意団体「京阪80形電車の保存を実現するプロジェクト」として、活動を開始。一時は小学校と共同で保存する方向で具体化したが、小学校側がPTAを説得できずに保存を断念。白紙に戻る。保存のための土地探しが始まる。
- 2002年10月~12月
- 土地提供企業を探しつつ、過去の保存運動を研究する。市民団体や学識経験者との交流を行う。理想の保存の方法について模索する。独自ドメイン(forum82.com)を取得。
- 2002年11月
- 京阪電気鉄道のご厚意で、82号へ再塗装してもらう。
- 2003年3月
- 当面の間、錦織車庫の一部を借りて展示することで京阪側と合意する。
- 2003年4月
- 今までの鉄道車両保存の概念を超えた保存を実現するための体制として、特定非営利活動法人(NPO)格を取得して文化事業の発信を試みる具体案が固まる。
- 2003年5月
- 多くの議論を重ね、定款等NPOとしての活動に不可欠な文書の作成を行う。
- 2003年6月
- 設立総会を行い、滋賀県庁に設立の申請をする。活動を支援してもらうための協賛企業を探す。プロジェクトの解散。芸術家とのコミュニケーションの本格化。82号の洗車・清掃を行う。
- 2003年7月
- 滋賀県民文化チャレンジ企画に挑戦し、書類選考を通過する。保存・公開・活用方法についての公式発表。ウェブサイト、forum82.comのリニューアル。
- 2003年8月
- 82号、42歳の誕生日。22日、第1回公開。6年ぶりに82号が復活をとげる。